私の見ている世界

子供たちが成人して、愛犬たちとメダカたちに夢中。傍らで綴った小説は、来春電子書籍化されます

老いていくということ

今日は写真がありません。本当は載せたいのだけれど、父は写真があまり好きではなかったので、そんな父に配慮しています。

父の面会をしてきました。今回は上の娘と一緒。月に一度の面会に入れる最大は3人までで、毎月子供たちは順番です。兄はあまり父に会いたがりません。元々喧嘩が多かったのですが、嫌いで会わないのではなく、恐らく老いていく父、自分を忘れてしまう父を見るのが辛いのだろうと思っています。

本当はみんな揃って会えることが、父にとって一番嬉しいことだろうけど、病院のそういうルールなので。新型コロナ、本当に憎いです。

 

2016年2月、父を最後に自宅から連れ出したのは私でした。

父と同居していた独身の兄から、「最近父の様子がおかしい」と夜遅くに連絡が来たので、気になって翌早朝に実家へ向かいました。

もしものためにと、家の鍵をカバンに入れて家のワゴン車に乗り込み、いざ実家へ。首都高の渋滞を抜けると、八王子インターまではガラガラで、8時頃に到着。インターホンを鳴らしても、ドアをノックしても、1階にある父の寝室の窓を叩いても反応は無し。カバンから鍵を取り出し、家の中に入ると、寝室で布団を顔まで被って眠る父がいました。

「どうした?具合悪い?」

と、私。

「平気だよ、何しに来たんだよ。びっくりしたな」

と、父。

全然平気じゃなさそうな様子だったので、いつも父が貴重品をしまっている引き出しを開けて、診察券を拝借。かかりつけ医に電話を入れてから、父を抱えて車に乗せました。

「病院なんか行かないよ」

暴れはしないけど、ボソボソと僅かな抵抗をする父。

確かこんなやり取りだったと記憶しています。今思えば、父はきっと病院へ行ったら二度と家に帰れなくなると、無意識にわかっていたのだろうか、そんな風に考えてしまいます。

実家からかかりつけの病院までは車だったら3分です。駐車場に入れて、受付をして、看護師さんがストレッチャーを用意してくれました。

緊急で診てもらい、私は父と共に主治医の話を聞きます。

「急に来なくなっちゃったから、随分と悪化しちゃったよ。このまま入院してね。今日娘さんが発見してなかったら、たぶん夕方には死んじゃってたよ」

主治医にそう言われると、父は少し不貞腐れ。

「もう治ってるはずだよ」

「そんなこと、僕は言ってないでしょ?定期的に病院来て、検査して、薬ちゃんと飲んでくれないと」

主治医の言葉はもっともだった。看護師さんが父を病室に連れていく間に、主治医と私は話をしました。

「腎不全末期です」

私は兄に連絡をして、入院の手続きを済ませました。兄が到着する夕方までの6時間ほど、父のベッド横に座りました。

「早く家に帰してくれよ。やらなきゃいけないことがあるんだよ。頼むよ、家にいたいよ」

父は何度もそう言いました。その願いを叶えたい反面、元気になって欲しい気持ちもあります。

「元気になれば帰れるからさ」

私にはそれしか言えませんでした。

 

兄が到着して経緯を聞くと、本当は病院へ行かなくてはならない日、兄が仕事を休めずに、父に一人で行くようにと伝えたと言います。父は実際には病院へ行かずに、帰宅後の兄に病院のことを尋ねられ「もう通院しなくていいって言われた」と言ったそうです。こうなる前に、もっと私も協力するべきだったと後悔が残りました。

 

それから一時期は、市内にある総合病院の運営する老健で2年ほどお世話になりましたが、容体は悪くなる一方。それでも老健にいた頃は、私が月に2度、私の末っ子は実家に住み込み毎日父の世話をしに老健に通いました。

 

遂に、終末期医療専門の病院へ転院したのが2020年のこと。世界中が、未知のウイルス悩まされている真っ只中です。

病室とロビーをつなぐモニター画面でのリモート面会も、中止と再開の繰り返し。直接会えないことがもどかしい。

「もう少し頑張って生きてね。そうしたら必ず直接会える日が来るから」

私は毎回、父にこう言います。

 

今回の父の様子は、今までにないくらい調子が悪そうでした。ひと月前は顔色も良く、元気に受け答えしていたのに。

面会に来るたびに、私や子供たちのことをわすれてしまう父。自分は孤独だと言う父に、私は言います。

「いいよ、忘れちゃってても全然いいよ。私たちは忘れないから。お父さんのこと、大好きな人が沢山いるから、安心してね」

自分の存在を忘れられてしまうのは、正直辛い。でも、忘れちゃってごめんなって泣く父が愛おしくて、まだまだ生きて欲しい。90手前の父、直接手を握って「ありがとう」を伝えるまでは、どうにか生き続けてほしいと、切に願います。