私の見ている世界

子供たちが成人して、愛犬たちとメダカたちに夢中。傍らで綴った小説は、来春電子書籍化されます

老いた父から

今日は父の面会です。3週間ほど前、病院から連絡がありました。

腎不全末期に加えて、肺に水が溜まっているが、体力的に抜くことができない。腸に溜まったガスを排出できずに腹部膨張です動けない。

食欲もなく、ベッドから起き上がることもできない。ある日突然ということも考えられますと。

 

それでも今日は、無事に面会の日を迎えています。少し年上の従兄が、父に会っておきたいというので、今日の面会は私の兄と末娘と従兄。

私は面会に立ち会わず、病院のロビーで待機です。新型コロナの影響がまだまだ残り、1階と病室を繋いだリモート面会は最大3人まで。

今日の父は、誰のことも判らず、以前送った子供と孫たちの写真を眺めながらの会話だったそうです。

 

もしも直接会えたなら、反応は少しくらい違うのでしょうか。いや、多分結果は同じなんでしょうね。むしろ、それが目の前で起こらないだけ、私たち家族は幸せなのかもしれません。

あんなにも愛してくれた我が子たちや孫たちの存在もなかったことになってしまう現実。それが幸せなのか不幸せなのかは、私には判らない。

けれど、唯一言えることは、父が私たちを忘れても、私たちは父を忘れないということ。私たちの中に、父が与え続けてくれた愛情がちゃんとあるという現実はここに存在します。

 

かくいう私も、いつか子供たちや父のことも忘れる日が来るのだろうと思いますが、多くを忘れて心も頭も軽くして、終えるということは、もしかするとすごく楽になれるのかもしれない。この世に未練をたくさん残したら、成仏できませんから。私の個人的な見解です。

そんな風に考えてみたら、今の父は幸せなのかもしれないと、少し気持ちが穏やかになります。

きっと、そうやって人は、無意識の意識の中で、人生を学んでいるのでしょうね。最後の最期まで、親が人生を教えてくれていることに、心から感謝と尊敬しかありません。

 

私の父はまだ生きてくれています。あと少し、直接会って触れ合えるまで、生きていてほしいと、改めて思っています。

次は11月30日。また父に会いに行きます。